Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

オンライン授業の準備に向けて

3歳の娘の保育園も休園になり、二人の子ども達を見ながらの在宅勤務になって三週間が経とうとしている。

日中に仕事をするのはほぼ不可能と判断し、子ども達がまだ寝静まっている時間に起きてやるという朝活を実践している。

ここまで一日だけなぜか「ダル重~」な辛い日があったが、それ以外はなんとか朝の貴重な仕事時間を活用できている。

下の子の保育園は早くも5月末までの休園延長が決まっている。

小学1年生の上の子の小学校は、5月7日、8日のお休みは決定しているけれど、11日以降どうなるかはまだ連絡が来ていない。

小学校の再開にもあまり期待が持てない状況で、さらに退屈そうなプリント学習が追加されるかと思うと、さすがに可愛そうだ。

 一部の教育評論家が率先して「早くオンライン授業を!」と言っているけれど、以下の記事を読むとそれもどうなんだろう…と考えざるを得ない。

-----------------------------------------------------
【フランスのコロナ休校「在宅授業」が「用意周到なのに失敗」したワケ】
 フランスの全学校に休校措置が取られたのは、日本で一斉休校が開始されてから2週間後の3月16日(月)のことだった。保育園はもちろん、幼稚園、小中高、大学に至るまで、医療関係者以外には公私を問わず、学びの場の門はパタリと閉ざされ、約1200万人の子どもたちが家で過ごすことになった。
 3月12日(木)の夕方、大統領によって突然の休校措置が知らされると、国民教育・青少年省のブランケ大臣は「教育は続ける」、「フランスは遠隔授業の用意ができている」と語った。また、インターネットやパソコンを持たない約5%の生徒に対しては他の手段を見つけるとも語った。
 日本では休校措置からずっと公立校での遠隔授業は行なわれず、保護者の間から批判が殺到しているようだ。そういう意味では、フランスはとても用意周到で、13日には一斉メールが送られ、16日からはオンライン授業が始まった。しかし、休校からひと月経った今、「むしろオンライン授業はやめたほうがいい」という意見が出ているのだ。ある意味では日本と真逆の議論は、どのようにして起きたのかをお伝えしよう。
 
パンデミック以前から、フランスの遠隔授業は着々と準備されていた】
 この時語られた遠隔授業の筆頭に上がったのが、CNED(フランス国立遠隔教育センター)の存在だった。当機関は1939年に設立された、フランス教育省が管轄する正真正銘の「公立教育施設」で、外国語資格や国家資格取得などの通信講座が受けられる。その数はゆうに250を越える。
 実は1月末の時点で既に、パンデミックを想定した遠隔授業の準備を水面下で始めていたというから、準備の良さには脱帽だ。そしてこの予測は見事的中し、教育省お墨付きの遠隔授業の出番となったのだ。
 CNEDは通常有料申し込みだが、今回の休校措置で子どもの学年と名前を登録すれば誰もが該当する学年のソースにアクセスできるようになった。CNEDでは、練習問題(PDFファイル)や電子本での読書を提供するほか、教師が子どもたちの各パソコンと接続してオンライン授業を行なえるプラットフォームも用意している。サーバーへの負荷もあらかじめ綿密にテストされており、同時に1500万人までのアクセスを保障した。ここまでは用意周到だ。
 ただ結局、CNEDへのアクセスは各家庭の裁量によるところが大きく、小学生ではその使用がまばらになるのは想像できる。親が教育熱心ならば親のパソコンやタブレットを譲り渡すが、テレワークをしている親はそうもいかないだろう。よくできたツールでも、致命的だったのは、この時点でタブレットのない家庭への配布までできなかったことだ(4月24日現在、配布が検討されている)。
 また、公立小学校の教師達の間では、CNEDの提供する各週毎の授業カリキュラムの内容が、実際の教育現場で行なわれている授業のレベルを上回っていると判断されたという。膨大なドリルをはじめとする、3時間で終わる内容だとされるが、一人で難なく勉強できる生徒ばかりでもないだろう。「実際の学校での授業の代わりにはならないが」、と教育省も前置きをしていたものの、実際教師が教育現場で取り組んでいるように、学力の個人差を埋める試みまではできない。日本の仕組みでいうならば、「一定以上の学力の子どもが集まる塾で出される宿題」のように感じた。
 
【紙不足を招く膨大なプリントアウト自習で孤独な子どもの背中】
 さて、実際に小学4年生の娘の学校はどんな対応をしたのかをご紹介する。まず休校要請の直後の3月13日(金)に「来週から学校のホームページに休校中の授業内容を随時アップデートする」という一斉メールが送られてきた。休校が始まった16日(月)、ホームページには予告通り教師からの「リンクをクリックして課題をダウンロードする」ということと、「がんばって!」というメッセージが載っていた。
 早速課題をダウンロードすると、その日の時間割と授業内容が首尾よく記された表に加え、国語、算数、歴史、英語の計10枚程度のプリントが出てきた。それらを全てプリントアウトし、娘に手渡す。娘は朝10時半頃からお昼を挟んで午後4時過ぎまで課題に集中し、教師である父親に質問があると、たまに部屋から出てくる。こんな感じで毎日が過ぎていった。日々溜まっていく膨大なプリント用紙は、クリアファイルに日付けごとに整理された。
 当初、私たちは学校のこの対応に満足していた。しかし、何日か経過するに従い、まずプリント用紙が切れ、どこにも売っていないという事態に直面する。どの家庭も一斉にプリントアウトを始めたため、その後も品切れは続き、裏紙でなんとか乗り切った。また、娘の課題はあくまでも自習扱いで、先生とのコミュニケーションは一切といっていいほど存在しない。提出する小テストのようなものをスキャンして送っても返信はなく、一斉に解答が送られてくるだけだ。
 そのうち、渡されたプリントを手に自分の部屋へ引きこもる娘の背中に、「孤独」という文字が背負われているようにさえ思えてきた。課題は毎日こなしているけれど、まるで一方通行の「学び」の世界へと、毎日繰り出していく姿に不安を感じるようになった。
 
【課題提出型の遠隔授業に必要な「条件」】
 いろいろな情報を見てみると、この「自習的」な遠隔授業は娘の学校だけではなく、小学校では一般的にとられた手法のようだ。中には、教師がICTを通じてカメラ越しに生徒たちと会話をする学校もある。ある学校の8歳の子どもは、週に1度だけ教師が生徒たちの顔を見ながら「元気?」「どんな課題が難しかった?」など様子を伺ってくれる機会が提供されている。もちろん、希望者のみが繋げる。だから本当の授業を行なうわけではなく、教師や仲間にカメラごしに会うことができる、喜びのひと時が得られるだけだ。
 それでも、娘のように孤独にコツコツ課題をこなすだけの毎日よりは、少しの安らぎと刺激を与えてくれるに違いない。ただ、実際はやりたがらない教師が多い。ちなみに、どんなプラットフォームを使用してカメラ授業形式をとるかは、各教師の好みに任されている。
 フランス型「自習的」遠隔授業には3つの要素が不可欠だ。
 まず、フランスの小学校で開始された「自習的」遠隔授業は、教師が親のメールアドレスを把握していることが前提となる。そこで、もともとメールでお知らせを配信していないような学校では、夫のように全ての親に一軒ずつ電話をして、メールアドレスを聞き出すという作業から始める教師も多かったという。
 第2に、プリンターやパソコン、インターネット接続の存在は欠かせない。どうしてもそれらがない家庭のために、各市役所がプリントアウトしたものをまとめて一週間に一度手渡すというサービスも同時に始まっていた。
 第3に、親が子どもの勉強を見られなければこの遠隔授業は成立しない。新しく学んだ箇所の課題を難なくこなせる子どもは、ほんのひと握りに過ぎないからだ。教師の連絡先も記載されており、質問を送り付けることも可能だが、教師が20数人の生徒ひとりひとりに返信をしていたらタイムラグが生じるだろう。過重労働にもなりかねない教師からのフォローに、過度な期待はできない。これら3つの環境なしでは、このタイプの遠隔授業は成り立たないといえる。
 
【コロナで浮き彫り、根強いフランス教育の問題点】
 フランスで休校と同時に遠隔授業が開始されることになった当初、識者の間ではある懸念がささやかれていた。それは、「教育の不平等」だ。
 フランスでは全人口の約20%を「移民」が占めており、人口1,000万人以上の大きなコミューンで見てみると、移民の割合はゆうに28%を越える。パリのような大都市では3~4人に1人が移民ということになる。こういった家庭では親がフランス語を話せなかったり、貧困からインターネットやパソコンにアクセスできなかったり、兄弟が3~4人いて勉強できる環境ではなかったりすることが多々ある。遠隔授業で、通常学校で行なうはずだったカリキュラムが進めば進むほど、こういった家庭の子ども達は暗黙のうちに切り捨てられていくという現実があるのだ。
 そもそもフランスの教育体制は、「親が子どもの勉強を見られる家庭」に照準をあてている。宿題で分からないところは、親がフォローする家庭がほとんどだろう。日本のような塾は存在せず、裕福な親が家庭教師をつけるということはたまに聞くが、小学生レベルでは家庭内で解決することが一般的だ。
 よって、ネグレクト傾向にある一部の移民の子どもたちは、遠隔授業以前から「学習機会の不平等」の中で生きているのだ。その日の問題が分からなければ、次の日の問題も分からない。そのツケはどんどんたまり、もはや裁ききれなくなってしまう。授業を聞いても分からず、やがて彼らは社会から「décrocheur(デクロッシュー)」と呼ばれる「落ちこぼれ」にならざるをえなくなるのだ。新型コロナ禍による遠隔授業は、さらなる学業の不平等を作るだけではなく、もともと潜在的にあったフランス教育の不平等という側面を顕在化させつつある。
 
【切り捨てられる子どもが存在する現実】
 休校中もカリキュラム通りに授業はやったことにされ、デクロッシュー予備軍の子どもたちはますます切り捨てられていく。そんな背景から、「休校中の遠隔授業はやめるべきだ」という教師の声もある。
 日本とは逆に遠隔授業がスムーズに始まったように見えたフランスでも、その遠隔授業による「やったつもり」弊害が顔をのぞかせているのだ。仮に休校中の遠隔授業がなければ、「授業は全ての子どもに対して平等に止まり、学校再開と同時に平等にスタートされる」。極端に言えばそういうことになる。そしてその方がいいのではないかという声が、遠隔授業の「弊害」を経たフランスでは実際にフツフツと沸き起こっている。
 あるフランスの女性教師はインタビューに答えている。「現在、遠隔授業についてきているのは、自力でできる生徒か、親が勉強を見てくれる生徒だけです。生徒や家庭環境による格差がある以上、この休校中の授業カリキュラムは無理に推進せず、9月の新学期から各教師が遅れを取り戻すよう授業カリキュラムを組み直すことを考えた方がいいのではないか」。教育現場で実際に舵をとる教師たちにとって、みなに平等に学びを与えられない「遠隔授業」は切実な問題だ。教師である私の夫も同意見だという。
 ただ親にしてみれば、「学びなき休校」は不安しか与えないのも事実だ。「学びなき時期」に意識のある親のいる家庭は、自分たちだけでも学びを作ろうとするだろう。そこだけで十分「格差」も生じるのではないか。格差が生じるから「一切なし」にするのは適切なのか。
「あとどれくらいで開校」と確信を持って明言できないのが、コロナ禍の厄介なところである。
 
【「5月11日から学校復活」の本音と建て前】
 4月13日、マクロン大統領の「5月11日から保育園を含め全ての学校を段階的に再開させる」という発表が、フランス中の親や教師に衝撃を走らせた。15日にはその演説を受けたブランケ大臣が、「5%の子供たちと連絡が取れていないという統計が届いている。家庭の様々な事情でインターネットアクセスがない、虐待やネグレクトを受けているなどが考えられ、そういう子供たちのことも鑑み、学校という公共サービスを再開することを優先したい。2週間以内に具体的な方法を見つける」と述べたのだ。
 この宣言は、「学校再開のそもそもの目的は、親たちの経済活動を再開させるためであり、学校を「学童」がわりにしようとしているのではないか。そうならば、もってのほかだ」という政治家の批判を浴びている。教育の平等を建前としながら、本音は経済を動かしていきたいということなのだろう。当然ながら、わが子をクラスターの中に入れたくない親たちの反発は大きい。しかし、教育の平等に大きな格差を生じるというのは間違いではない。ある意味で、基本的に4月からほとんどの学校が始まってもいない日本は、「平等にできないからやらない」というスタンスである可能性も否定できない。
 フランスの遠隔授業は、用意は良かったがツメが甘かった政府によるいくつかの失敗と、教師たちによる果敢なチャレンジの中、あと3週間あまりで終わりを告げようとしている。5月11日の学校再開に向けた夜明けのない議論を、未だ続けたまま。
 
 4/26(日)『現代ビジネス』7:01配信  下野真緒(フリーライター
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200426-00072148-gendaibiz-int(最終確認日:2020/04/27)
---------------------------------------------------
この4月からお世話になることになった非常勤先の大学では、5月7日からの授業開始及び非対面式の授業、すなわちオンライン授業の実施ということになった。
見切り発車観は否めないが、誰もが経験のないこの状況なのでやるしかない。
なにせ、通常通りの授業が行えないにも関わらず、大学側は学生への学費の減額・返納はしないという方針を決めた。
確かに私大の収入源のほとんどが学生らの授業料で運営されているので、学費の減額・返納は大学存続の危機にまで直結してしまいかねないのだろう。
それならば、そこで雇われている教員は教育の質をきちんと担保することに尽力しなければならない。
初めての経験でだいぶ手探り状態だけど、一番不安なのはおそらく学生らだということを肝に銘じて準備を進めなければならないと思う。