Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

新型コロナウイルス

先週の2月27日(木)の午後、政府は全国の公立学校を一斉休校する旨、全国の教育委員会に「要請」を出した。

そして全国の自治体には「各地域の実情に応じて」柔軟かつ迅速な対応が求められた。

そして今日3月2日(月)から4月6日(月)までの1か月以上、ほとんどの自治体の公立学校は休校&春休みに。

こうした事態に、全国の子どもを持つ親や学校現場は大混乱している。

自分の子どもは幸いにも二人ともまだ未就学児なため、これまで通り保育園に預けて仕事ができているのだけれど、もし小学校に通っていたら、学童は開所してくれるのか、開所しない場合は仕事は休めるのか、休みにできたとしてその補填はどうするのか、子ども達の日中のお昼ご飯はどうするのか、子どもと1か月以上どう過ごしたらいいのか、とか、いろいろ考えなくてはいけないことが出てくるだろう。

身近なところで言えば、旦那の会社のイベントでディズニーシーに行くことが中止になったり、卒園式後の謝恩会が事実上中止になったりしている。

ディズニーシーはまあいいとして、謝恩会に関してはここ数日ずっともやもやしていた。

卒園対策委員(通称、卒対)として1年くらい前から年長の子ども達の卒園に向けていろいろと準備してきて、謝恩会当日(3月21日)の準備も本格化していた。

そうした中、2月22日の段階で卒対の保護者の中から「食事なしの縮小版にした方がいい」という声が出てきた。

そこで委員10名で投票を行ったところ、「予定通り行う」が4名、「食事なし、余興のみの縮小版」が1名、「記念品の贈呈、写真撮影のみの簡易版」が2名、残りの3名は白票、という結果になり、感染予防策を考えつつ予定通り準備していこうとなった。

中には、マスクがない!消毒液がない!と騒いだり、○○の店員に感染者が出たらしい!とデマを拡散する保護者も…

この段階では「この人達やばいな…」と呆れていた。

そうした中での休校要請。

いよいよということで、先の卒対の保護者から「食事会形式の謝恩会はできないと考えている。どこまで簡略化するかについて検討しましょう」という声が出てくる。

実はこの保護者、卒対のリーダーで、これまで他の保護者の連絡を既読スルーしたりして連絡を滞らせたり、「すぐやります!」といって何ヶ月も待たせたりで、そういう対応に終いにはあきらめる保護者もいたほどの「曲者」で、唯一の「お父さん委員」だった。

他の卒対の保護者からこうした状況を耳にするたび、「まあ、忙しいのでしょう」「担当を決めたとき残り物のようになってしまったリーダーをある種押し付けてしまったようなかたちになってしまったから責められないよね」と思っていた。

ところが、新型コロナで周囲が騒がしくなると、なぜか率先して縮小・中止の方向にもって行きたがった(ように自分には見えた)。

身の周りに多くの時間を割いて準備をしてくれていた保護者を何人も知っている中で、「おい、ちょっと待て!散々足引っ張っておいてどの口が言っているんだ!!」と思い、嫌われる勇気を出して下記のように卒対グループLINEに送った。

「現時点で食事を含む通常の保育が行えている中で、誰か専門家や科学的な証拠に基づいた判断ではない、政府による政治的な判断に振り回される必要はないと考えます。

今後の状況次第で柔軟に対応できるよう、これまで通り粛々と準備を進めるべきではないでしょうか。(後略)」と。

こうした感染予防策を講じた上での「予定通り」を望む声はあと二人ほど出てきたのだけれど、すぐさま先の卒対リーダーによってとどめが刺された。

「園長先生から謝恩会は簡略化の方向で要望を頂きました」。

少し前の時点で園長は、謝恩会は卒対の保護者の判断に任せる的なこと言っていたし、今のところ卒園式も保育園は通常通り行おうとしているのに、このタイミングで園から簡略化を要請してくるとは、にはかには信じがたかった。

もともと謝恩会にあまり乗り気じゃなかったリーダーから保育園に「こういう状況だし簡略化した方がいいですよね??」といって相手の「お願いします」を引き出したのでは??と勘繰った。

たとえ園から簡略化の要請があったとしても、これだけ万全の態勢で準備しているからやらせてください!と交渉する余地はなかったのだろうか。

リーダー選びに失敗していることと、リーダーだからという理由で一人の判断によって物事がどんどん違う方向に動いていってしまうこと、終いには「園からの要請」でお世話になった先生方と子ども達のために一生懸命準備をしてきた大多数の親を黙らせたことに、無力感しかなかった。

見えない敵による恐怖と不安が蔓延しているこういう時こそ、前向きに楽しいことを考えて生活していた方が暗くならなくて済むのに。

こうした思考はいわゆる「のんき」なのとは違うのではないだろうか。

「子どもの健康と安全が最優先」。そのこと自体は反対しようがないけれど、この言説の裏に隠れているものは?とクリティカルに考えることも必要だと思う。

企業がイベントを自粛したり、休園したりするのは、経済的な犠牲を払ってもいいイメージでありたいから。

政府がこういう政策に打って出た背景にあるのは、リーマンショック以来の株価の急落と諸々の不祥事による支持率の低下、国際的に非難を浴びたダイアモンド・プリンセス号への対応、間近に迫ったオリンピック・パラリンピック、etc.…。

こうした判断の結果、感染者が増えたら「やらなければもっと増えていたかもしれない」と言えばいいし、減ったら「判断は間違っていなかった」と言えばよく、どっちにしたって政権への打撃が少ない。

子育ての事情や学校現場の実情を知らない政治的な判断だと言わざるを得ない。

しかも保育園や学童クラブへのしわ寄せ何て何も考えていなかったのだろう。

あと、毎年流行するインフルエンザと今回の新型コロナとの比較をしてみれば、行き着く先は不十分な検査体制と特効薬の有無に行き着くはず。

毎年多くの感染者を出すインフルより新コロナの方が致死率が高いってホントかな?

そう考えると、「知らない・わからない」ということが、この漠然とした恐怖や不安につながっていることに気づくだろう。

 事実上中止になった謝恩会は、ただ先生と保育園に記念品を贈って、せいぜい写真を撮るだけ。

「子どもの健康と安全が最優先」言説は、子ども達の最後の楽しい時間すら犠牲にするほどのパワーがあり、一斉に横並びに諸々休止に追い込むことで、経済に打撃を与え、社会を混乱させ、なんだか暗ーい気持ちにさせる、反論を許さない、沈黙を呼び込む言葉。