Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

やっといいお天気に

今年の梅雨は、雨が良く降り、どぉんよりとした曇り空の日が多い、梅雨らしい梅雨といったかんじだ。
こんなにも晴れない日が続くと、メンタルにも悪影響が…
全国各地では、安保法制に対する反対デモ・反対集会が活況を呈していると言うのに、肝心の政府は「国民は全然わかってないからもっとわかりやすく説明してあげる」と言った感じで、話を単純化して本質的な議論を避け、国民の声を聞き入れる気配も姿勢もゼロ。
ある本の中で、戦後日本の知識人・加藤周一憲法学者樋口陽一が、現在の世相に対し、「ニヒルにもなるね」と話した、とあったことを思い出す。
ホントに……
さて、今日はようやくいいお天気になった。
子どもを保育園に預けて、朝の移動時間にこんな記事を読んだ。

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【「保護者にイス取りゲームをさせている」所沢市の「育休退園」制度が猛反発されるワケ】(Y!ニュース:7月10日10:34配信)
 母親が第2子以降を出産して育児休業を取得した場合、保育園に通っている0〜2歳の上の子どもを退園させる埼玉県所沢市の「育休退園制度」は違法だとして、保護者11人が6月25日、同市を相手取り、退園の差し止めを求める行政訴訟さいたま地裁に起こした。
 報道によると、所沢市は今年4月から待機児童が集中する0〜2歳児の問題解消に向けて、新たな制度の運用を開始。6月末までに保育園児9人を退園させていたことが分かった。この新制度について、「少子化対策に逆行している」という意見がある一方、「保育園は家庭で育児ができない人が利用するための施設」との考え方もある。
 今回の訴訟のポイントはどこにあるのか。保護者側の代理人をつとめる原和良弁護士に聞いた。

●子どもの「保育を受ける権利」を侵害
――どういう経緯で今回の代理人を引き受けたのか。
 保護者たちは、新しい制度の撤回を求めて市と交渉を重ねましたが、市の態度は「すでに決定事項であり、変更はしない」という大変冷たい対応でした。
 「もはや、法的手続しかない」ということで、保護者から相談を受けた弁護士から、私に打診が来て、当事務所で代理人を務めることになりました。趣旨に賛同して、全国で168人の弁護士が代理人に就任しています。
――所沢市の方針は、どこが問題だと考えているのか。
 まず、市の方針は、子どもの「人格権」に対する侵害(子の最善の利益としての保育を受ける権利の侵害)にあたります。
 また、保護者に対しても、子育てと労働の両立を保障するために制定された「育児休業取得権」の侵害にあたります。育児休業は「下の子」のための休業であり、「上の子」の子守のための休業ではありません。また、職場復帰の際にふたたび、二重の「保活(保育園入園活動)」を強いることになってしまい、育児休業取得を抑制させることになります。
 さらに、手続的にも、突然の一方的な改悪で、重大な瑕疵があると考えています。仮にこのような施策があり得るとしても、1年〜2年の猶予の告知期間が必要です。保護者にとっては、子を産む権利、産む時期を決定する権利を侵害されたことになります。
 この点、過去の判例をみると、横浜市保育所の民営化差止めを求めた事件の判決では、早急な民営化の正当性に疑問を呈し、児童および保護者の「特定の保育所で保育の実施を受ける権利」を尊重した手続とはいえないとして、横浜市裁量権の逸脱を認定し、違法としています(横浜地裁 平成18年5月22日判決、判例タイムスNo.1262)。
 今回のケースは、保育契約途中の保育実施そのものを解除するという点で、さらに不利益の程度が重大なケースといえます。
――所沢市は、新制度の目的として「待機児童の解消」をあげているが、対応に誤りがあるということか。
 所沢市は、基本的に保育園は増設しないという方針をとっています。つまり、日本における少子化を当たり前の前提としていて、子ども・子育て支援法により積極的に少子化対策を推進し、産みたい保護者のための施策を推進しようという気が全くないのです。
 同法の施行を受けて、全国の地方自治体には、独自の施策で少子化対策子育て支援策を競ってほしいと思っています。今回の提訴の報道を見て、いくつかの自治体では、長年続けていた育休退園を見直し、育休をとっても保育を継続する方向で検討を始めた自治体も出ています。たとえば、静岡市や石川県内灘町などです。皮肉なことに、所沢市は、全国の反面教師になっています。
 所沢市の待機児童政策は、パイを増やさず、保護者に「イス取りゲーム」をさせるものです。最善の利益を保障されるべき子どもの権利を侵害し、保護者同士を対立関係に追い込み、結果として、行政の責任放棄を免罪するものです。このような制度が許されるはずはありません。

●再入園の説明はその場しのぎの「空手形」
――所沢市は、元の園に再入園できると説明しているが・・・
 所沢市は、保護者・市民の批判を受けて、「元の園に再入園できる」という説明を場当たり的にしているようですが、そのような保証は全くありません。その場しのぎの「空手形」だと思います。
 認可保育園の入園の選考基準について、多くの自治体はポイント形式を採用しています。共働きであることや、シングル家庭であることなど、さまざまな項目をポイント化し、より点の高い順に入園できる仕組みです。
 所沢市は、自主的に退園を選択した保護者については、退園した上の子にも、生まれた下の子にも育休明けの入園に際して100点加算を行う、としています。
――それだけポイントが付与されれば、必ず再入園できるということだろうか。
 そうではありません。そもそも、園の空きがなければ入園できません。
 また、現在3歳児以上のクラスに「上の子」が通っている保護者が育休をとった場合は、今回の退園制度とは関係がないため、100点加算の対象にはなれません。下の子を保育園に入園させようとしても、ポイントが加算されていないため、入園できないかもしれません。
 さらに、虐待を受けている児童や障害児など保育の必要性の高い児童との優先順位はどうなるのでしょうか。全体の制度設計を考えずに、その場しのぎの政策を打ち出したことで、矛盾は解決するどころが、ますます広がっているのが現状だと思います。

●働くお母さんにとって一番頭にくる「市長の発言」
所沢市の藤本正人市長は、市民との対話集会で「子どもは保育園には行きたくないと思っている。きっと、お母さんと一緒にいたいと思っている」と発言している。
 働くお母さんにとっては、一番頭にくる発言です。
 女性が男性と対等・平等に職を持ち、社会で活躍することを否定する言葉で、開いた口がふさがりません。育児休業は、女性だけではなく、男性にも権利として保障されています。市長は、育児介護休業法すら理解していないと、評価せざるを得ません。
 また、このような発言は、保育専門職である保育士や保育事業に従事する関係者への侮辱でもあります。保育園に子どもを預けるしかない劣悪な家庭環境にある市民のために存在するのが「社会的必要悪」としての保育園であるという考え方は、到底容認できません。
 最近の動向を見ても、最高裁はマタハラ判決やセクハラ判決など、雇用の機会均等や女性の社会進出について踏み込んだ司法判断をしています。今回の訴訟は、今月中にもさいたま地裁の判断が出ると予想していますが、裁判所も、この制度を容認することはないと確信しています。

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少し前にそんなことも問題になっていたなぁ…と思いながら、やっぱり子を育てる親としてはこの問題には無関心ではいられない。
この記事にあるような権利論については正直よくわからない。
いろんな権利が衝突しうる事例で、どうとでも説明できそうだから(一番説明力が高い理論はどれなのか判断できない…)。
個人的に問題だと思うのは、保育園に子どもを預けたいという親のニーズに、保育園の数なり設置場所なり保育士の確保なりが対応できていないということは言うまでもないが、そのことを前提に考えても、問題なのは、やっぱり子どもが出来て育休をとった場合、0〜2歳の上の子を“一律に”退園させる、ということではないか、と思う。
そこには、多様な子育て観や各家庭の保育ニーズの程度が全く考慮に入れられていないと思う。
自主的に退園を希望すれば、育休明けの入園の時に上の子と下の子両方に100ポイントずつ加算となって有利に保活が進められるようだが、それもどうなのだろう…
記事にもあるように、結局空きがなければ100ポイント加算されたところで…というのももっともだし、点数ちらつかせて保護者の主体性を引き出し、その先どうなっても退園という選択をした本人の自己責任、といっているようで、到底容認できるものではない。
女性の仕事と子育ての両立とか、子育てそのものに全く理解のない人が考えた制度なんだろうな、と思っていたら、案の定、「子どもは保育園には行きたくないと思っている。きっと、お母さんと一緒にいたいと思っている」という市長の発言。
頭にくるというか、本当に何もわかっていないと思う。
確かに、二人目ができて、産休・育休をとり、“優雅なマタニティライフ”の中、一人目の子とのんびり過ごす時間を確保する、というのもありだと思うし、きっと市もそういう子育て観・母親像をイメージしているのだと思う。
子どもが保育園に行きたいと思っているのか、行きたくないと思っているのかについては、当然、一概にどっちとは言えない。
ちなみに2歳になった我が子は、1歳の時、父親でもなく祖母でもなくやっぱりママ、ママで、家族の中では「ママ最強!」だったはずなのに、ある日試しに「センセイとママ、どっちが好き?」と聞くと、「センセイ!」と答えるほど、保育園の先生が好きだった(保育園ライフに順応できた子だった)。
じゃあ子どもは日中お母さんといたくないのか、というと、それはまた別の話であって…
甘えたい盛りの子どものそばにちゃんと愛情を持って接してくれる大人がいれば、それは何も母親でなければならない、ということはないと個人的には思う。
でもまぁ、それもそれで一つの子育て観であって、我が子にはいろんな大人の目に見守られながら育って欲しい、と自分ならば思うけれど、子育ては一過性のもので、やり直しがきかないものだから、自分の手で、自分のやり方でやってみたい、というのも、それはそれで尊重すべき子育て観だと思う。
子どもが保育園に行くことの客観的・実証的な効果や逆機能はよくわからないけれど、「まだ小さい子どもを保育園に預けてまで仕事したいの!?」的な、働く母親に罪悪感を植え付けるような風潮はおかしいと思う。
また、“優雅なマタニティライフ”というのも経験上幻想であって、定期的な通院も含め、子どもを生み育てる準備や、体調管理など、やることはいろいろあったし、自分の場合は、やれる範囲の仕事を生む直前までしていてなんだかんだ忙しかったし、生まれてからは、体調も精神状態も不安定な中、慣れない子育てに追われる日々で、クッキーでも焼いて編み物して…的な一般にイメージされる優雅さはなかった。
そこに0〜2歳という、また違う意味で手のかかる子どもの面倒を見なければならないとしたらどうだろうか…
その一方で、市側が説明するように、子どもを保育園に入れたいのに入れられていない家庭をどうするか、という問題もあって、この「育休退園制度」が一時的ではあっても待機児童の解消になる、というのもわからないでもない。
現実に今の条件の下で保育園に子どもを入園させる際には、保育の必要性が高い家庭から優先的に入れていくしかなく、自治体が運営する認可保育園に子どもを預けられている、というのは、そうではない家庭からすれば“特権”なわけであって。
優先度が下がればその特権を手放さなければならない可能性だってないと、それは公平とはいえないだろう。
育休をとると上の0〜2歳の子が強制的に退園させられるのは確かに不合理なことではあるけれど、もっと厳しい環境で子育てと仕事の両立を強いられている人や、仕事が出来ず一日中子どもを見ていなければならず追い詰められている人もいるってことを、もっと“特権者”は知ってもいいのでは、と思ったり…
いずれにせよ、いろんな事情をそれぞれが抱えているのに、“一律に”ある子育て観の下、制度を運用するのは、いかにも官僚的な人が考えそうなことで、何のための地方分権化なのか全くわからない、と感じる。
なので、現実的には、育休をとることで、これまでよりは保育の優先度が下がり、ゆえに保有しているポイントも下がり、待機している家庭と比べてどっちがポイントが高いかで判断する、というのが妥当な落とし所ではないか、と思う(本当はこのポイント制というのももっと見直すべき点はあるとは思うけれど…)。
そこで同点だった場合は、保育の入園を決める担当者がもっと当事者にしっかりヒアリングして欲しいとも個人的には思うところだが…