Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

夏休み

7月29日(水)に試験をして、先週の8月7日(金)、無事に採点&成績付けを終え、ようやく夏休みに入った。
例年だと1週間で採点をしなければならないが、今回から採点表をWeb上で提出できることになり、2日ほど猶予をもらえた。
前期の授業は、最終的に履修登録者170名。過去最大の履修登録者数となった。
その内、受験者は155名。
試験をする段階で15名が脱落したとは言え、採点期間、2日の猶予では到底足りず、大変…というよりもはや辛かった(読んでも読んでもまだある…と言った感じで)。
受験した155名の学生の内、どうにもこうにもこれでは単位をあげられないという学生は、今回16名。
このように、例年大体1割の学生は落とさざるを得ないのが現状である。
まぁ、学生にとっては厳しいかもしれないけれど、大学教育としても一定の質を担保した上で社会に送り出す責任があると考える。
また、学生同士でも、「先生の授業落とすってよっぽどだよ。」と言っていた学生も過去にいたように、そんな「よっぽど」な学生を、まじめに授業に出たり、授業に出てこなくても自分でちゃんと勉強して試験に臨んだ学生と同等に扱ってしまっては、やっぱり不公平が生じるだろう。
「授業に出てこない→試験できない」というのは論外であるとして、例年問題だと感じるのは、毎回授業にはちゃんと出てきているのに、試験が全く出来ておらず、落とさざるを得ない学生がいるということだ。
落とした上記16名の内、授業にはちゃんと出てきていたのが9名、さらに授業では「コメントシート」と呼んでいる、授業終了時に毎回出してもらっているいわゆるリアクション・ペーパーで授業に貢献してくれていた学生は、その内4名もいる。
こういった学生に関しては、こちらが授業を通して身につけて欲しいと望んでいることを理解させてあげられなかった、あるいは、授業内容で何がわからなかったのか、理解しづらいところはどこだったのかを拾い上げてあげられなかった、という、教員側の責任もあるのかもしれない。
というわけで、秋からの授業及び来年度の授業に生かすために、下記には備忘録的に少し今回の反省点を記しておこう。

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試験は例年通り、語句説明の問題(10点×4問)と論述(3問中2問選択させ、30点×2問)で100点満点の試験である。
そこに、毎回の授業への貢献度ということで、上記「コメントシート」の内容によって加点もある(1割程度)。
したがって、単位がもらえる合格点(60点)に達するには、論述でしっかり点をとり、もっと言えば、授業に貢献するのがよい。
そこで、今回採点をしていて多く見られたミス、あるいは減点対象となった誤りを挙げておこう。
まず、論述では、例年授業で視聴したDVDに関する問題を出題しているのだが、前期は、日本の戦時下の教育に関して2本のDVDを見た。
出題は、「その内の1本について、そこからわかったことをまとめた上で、現代の政治状況・社会状況と照らし合わせた時に、今日の教育の課題はどういったことであると考えるか」といったようなもの。
今年は特に、戦後70年の節目の年を迎えるので、戦前・戦中から戦後にかけての連続性・非連続性という視点で講義をし、未来に向けて教育において成し得ることは何か、ということを学生には考えてもらうよう授業では心がけたつもりだ。
論述の問題としてはかなり自由度の高い設問で、戦争や武力の保持について肯定であっても否定であっても、あるいは愛国心の涵養について肯定であっても否定であっても、様々に論を展開できる論述問題だと思うが、授業に出ていた人でないと、DVDの中身がわからないので、戦時下の教育についてそれっぽくテキトーに書いていたり、わかった内容として不正確だったりしている答案については減点対象とした。
そりゃそうだ。何でもいいわけではない。
さらに、2本見たDVDの内、学生にとってはそっちの方が印象的だったのか、設問では聞いていない方の、つまりもう1本の方のDVDについて書かれている答案が多く、これについても、減点対象とした。
学生には事前に問題文をよく読むように促しておいたのだが、足りなかったか…。
残りの2つの設問についても、とにかく設問の指示通りにちゃんと書かれていれば加点されるわけなのだけれど、論理もめちゃくちゃ、聞かれていることに答えておらず、ただひたすら自分の思い・感情のままバーっと書かれた答案も結構あった。
何かしら書かれていればさすがに0点にはしないけれど、授業では、「これまでに受けてきた家庭や学校等での教育に対する自らの主観的な捉え方を相対化し、より客観的な見方で、教育をめぐる理論や今日的な課題について説明・論述することができるようになること」を学生に求めてきた。
したがって、「客観的な見方」を可能にするために、授業では、他者の意見に耳を傾けたり、ある事象を構造的に把握し、それを批判的に捉える姿勢を養うためのトレーニングをしてきたつもりである。
なので、「フリースクールに通う子ども達は協調性に欠け、他者とのコミュニケーション能力が劣る」とか、「最近の若者は政治に関心がない」といった、世間に流布している偏見を根拠なく述べている答案も本当のところは減点対象としたい(けど、今回はしていない)。
上記の例で言えば、「フリースクールに通う子ども達の実態の解明が進んでいない」や、「若者の投票率が他の年代に比べると低い」だったらまだわかる。
あとは、漢字の間違え(一番多かったのは「生徒」・「徒弟」の「徒」を「従」と書いているもの)や、「文章の形で」といっているのに箇条書きな答案、明らかな口語表現、文章内での敬体(です、ます)と常体(だ、である)の混合、主語・述語の不一致、主語なし文、などを減点とした。
まぁ、これらについては、「答案書けたら落ち着いてしっかり見直してね」と言うしかないが…

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こちらとしても、落としたくて落としているわけではないので、学生が書いた答案を見て、回答の書き方を誘導してあげられるように、括弧内の語句を使って説明させたり、「これについて述べてあれば加点されるよ」ということを明示するために下線を引っ張ったりと、出題方法も改良させてきている。
あとはもう少し授業の中でポイントを分かりやすくして、学生の理解が不十分だったところを重点的に説明の仕方を改善させていくしかないだろう。
しかし、こう履修人数が多くては試験の方法も変えざるを得ないかもしれない、と今回はさすがに思った。
ただでさえ子育てに時間をとられている状況で、この人数の採点を短期間でやるのは物理的に無理だ。
かといってマーク方式は採点楽だけど、それだとこちらが求めているものとの齟齬が生じるし。
そう考えると論述が最適なのだけど…。
多くの私大の教員の悩みかもしれないけれど、一つの授業に大量の学生を抱え込まざるを得なくなった場合の質の担保はやっぱり課題で、あまり経済的な効率性ばかりに目をとらわれずに、授業がちゃんと成り立って無理なく質を担保できる適正規模を定めるべきだと思った(ちなみに、個人的には一授業100人が限度だと思う)。
あと、これは完全に愚痴だけれど、何らかの理由で学生が集まらない授業を展開している先生は、採点も成績付けも楽で、そういう先生に限って下手したら時給も高くて、私のようなワーキングプアからすればなんて不合理なのだろう。
ということで、、よし、夏休みだ。