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大学のゼミで学んでことの意味 Part 3

4年生になると自分にもゼミの後輩が出来、それまで自由に、先輩の目を気にせずある意味勢いで物事を言っていた3年生の時とは違って、後輩たちに対して恥ずかしくないように、自分の発言に責任を持つようになった気がする。
だからその分勉強もした。
4年生時の最大の課題は、自分の自分による自分のための「卒業論文」を仕上げること。
自分の無知や無力さ、何よりも自分の問題関心と最後まで向き合う、孤独な闘いだった。
孤独な闘いではあったのだけれど、A先生同席の下、同期メンバーで何度か中間報告会をし、自分の問題関心を発表しては質問され批判され、それをまた練り直し、少しずつ完成へと近づけていく、とう協同的な側面もあった。
卒論のタイトルは、『現代日本における「教育改革」と教育の公共性論〜人権としての教育をめざして〜』。以下はその目次。

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序章
 (1)課題設定 / (2)「教育の公共性」 / (3)本論文の構成と内容
第一章 高度成長期における公共性論(1955〜1973)
 第一節 教育基本法体制から教育における55年体制へ ―国家の公共性再独占期
 第二節 国民の教育参加を排除する国家教育政策とその論理
  (1)公選制教育委員会廃止から見る教育統制システム
  (2)国家管理的公共性論
 第三節 国民の参加論的公共性論 ―堀尾輝久の私事の組織化としての公教育論
第二章 企業社会成立期の教育における矛盾の激化と公共性論(1973〜80年代)
 第一節 企業社会の完成と教育における矛盾の激化 ―国家の公共性動揺期
 第二節 臨教審による教育「自由化」論の登場と挫折
  (1)教育「自由化」論の内実
  (2)挫折の理由と国家の論理
  (3)市場競争的公共性論
 第三節 教育の公共性をめぐる論争
  (1)佐貫浩の私事の組織化の理論的展開
  (2)黒崎勲の「私事の組織化論」批判
第三章 現在の「教育改革」と教育の公共性論の展開(90年代以降)
 第一節 80年代臨教審改革を発端とする教育「自由化」論の再浮上 ―国家の公共性一部委譲期
  (1)現在の「教育改革」のねらい
  (2)「統治国家」から「評価国家」へ ―「21世紀日本の構想」懇談会報告から見る国家の論理
 第二節 教育の公共性をめぐる理論整理とその特質
  (1)佐貫浩による公共性枠組み変化論
  (2)伊藤恭彦の問題解決領域としての公共性論
  (3)黒崎―藤田論争
 第三節 国民の参加論的公共性論の実践的展開
  (1)参加論の教育的意義
  (2)子どもの参加を視点とした学校教育の取り組み
  (3)教育の私事性と公共性をつなぐ和光鶴川小学校の実践「沖縄」
終章
  (1)教育政策と公共性論の展開
  (2)国民の参加論的公共性論の展開
  (3)個を起点とした新たな公共性と教育の展望
終わりに
参考文献・資料一覧

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当時、ゼミ論から卒論へ発展させる過程において考えたことは、ゼミ論で最も不十分であった丸山真男の思想を素材とした在るべき個人と国家の関係性であった。
丸山真男の思想の中心にあるものは、個人の内面の自由が重視された民主主義を原点として、その上でいかに人と人とのつながり、新しい連帯をつくるかということであるといえるだろう。
つまり、公的なもの・公共性をいかにつくり出していくかということであり、まさしくそれは当時も現在も教育改革論のひとつの争点となっていることである。
そうして理論・政策・教育実践について、「公共性」というものを軸に卒論は構想された。
したがって卒論の目的は、「戦後(特に1955年の保守合同以後)の教育政策を、その政策の裏にあるナショナリズムの分析も含め、批判的に検討することを通じて、教育における公共性論の理論整理をし、さらに現在の教育改革のどこに展望を見出すかを教育の公共性を視点に考察する」こととなっている(卒論からの引用)。
丸山真男については、自分が立ち上げた「社会科学研究会」を中心に学習を進めた。
当時、自分と問題関心を共有してくれるマニアックな存在は、A先生と前回のブログでも登場したN.W君ぐらいだったけれど、毎回自分を含めて三人で難解な丸山論文を読んでは、あーだこーだ議論をした。
特に、1946年に雑誌『世界』に掲載され、丸山の名前を一躍有名にしたとされる論文「超国家主義の論理と心理」は、今でも当時よく読んだな、と思う。
そして丸山の政治論・政治思想論を読み進めていく中で出会ったのが、堀尾輝久だった(堀尾輝久は丸山真男の死後、追悼文を寄せている)。
卒論の副題にもある「人権としての教育」や、目次にも登場する「私事の組織化としての公共性」という議論には、個人の私的なもの・私事性を公共的なものへと高めていこうという、丸山的な発想があると思う。
そして卒論の結論として特に強調したことは、子ども達が自分の足で社会に参加していける土台を築くことの必要性であり、1. 日常性の視点、2. 地域性の視点、3. 子どもの問いを育てる視点、4. 平和への希望を教える視点により、実感のある学びを創出することであった。
つまりそれは、自分が見え他者が見え、自分と世界の関わりが見えてくる学びであり、まさに「教育の私事性と公共性をつなぐ」という理論的課題を、教育実践の場で実現しようというものであった。
そしてこの卒論を仕上げて見えた方向性が現在の自分の研究につながっている。
「教育の公共性」については生涯を通して追究していく大きなテーマであり、このテーマについて説得的に語ることのできるよう、現在はその基礎研究に勤しんでいる。
現在の研究テーマは「現代フランスにおけるシティズンシップ教育政策の展開」である。
このテーマに辿りつくまでにはさらにいろいろあったのだけれど、こうして大学3年生の時にAゼミに入って学んできたことが確実に土台としてある。
問題関心も一貫していると思う。
つまり「国家と個人」、そしてそれを媒介する「公共」としての教育、というものである。
現在の研究のアプローチも歴史的な視野をもった政策研究。ゼミ論、卒論でのアプローチがやっぱり土台としてある。
現在直面している課題・困難を挙げるとすれば、自分の研究については子育てとの両立において時間と労力を頑張って捻出していくしかないのだけれど、それよりも、仮にも非常勤という身ではあるけれど大学生に講義をする際に生じていることかな、と思う。
まだまだ未熟ではあるが、自分も大学生に教え、逆に彼ら・彼女らから多くを教わり、共に学ばせてもらっている。
それこそ自分が大学生だった時に教えてもらった言葉があるのだが、それはL.アラゴンの「教えるとは、ともに希望を語ること。学ぶとは、誠実を胸に刻むこと。」というもの。
この言葉を実際に実践していければと願うのだが、シニカルにもなってしまう現在の政治状況・社会状況の中で、自分が大学生だった当時、A先生や仲間と共に悩み考えた「何のために学び、どこに向かって生きるのか」ということを、これから社会に出て行こうとする学生達とちゃんと考えられているだろうか、と思う。
大学の講義では、自分も大学生だった時に見たビデオをA先生からお借りし、それをDVDに焼いて学生らに見せる機会を設けたりしている。
例えば、1943年の「出陣学徒壮行会」に関するもの。
そこには、神宮外苑で行われた壮行会に実際に参列した当時の学生らの証言も収録されている。
そしてDVDの終盤には、日本の戦局の悪化が映し出されると共に、ある学徒が家族に宛てた手紙が紹介されている。
その手紙の中の一文に、「戦後の日本は文化の上で苦しむことになる」という言葉がある。
この言葉の意味について、大学生だった当時、いろいろ考えた記憶がある。
当時、ビデオを見て書いた自分の感想文には、「日本の将来を担う学徒たちを戦争に動員した政府を皮肉ったのだろうか。または、負けるとわかっている戦争をしてしまった日本の責任が後に厳しく問われることを示唆していたのだろうか。それとも、戦争に突き進む指導者の存在を許してしまった日本国民としての社会的・歴史的・思想的発達が足りなかったことを悲観していたのだろうか。いずれにせよ、きっと彼らなりに様々な想いを巡らせ、戦後の日本の平和というものを社会的な面でも精神的な面でも願って自らを犠牲にしていったと思う。そんな彼らの死を犬死にさせないためにも、私たちには真の平和を希求する責任がある。行進する彼らの表情から、なんともいえないものを感じ、それが妙に苦しかった。」(引用)とある。
自分がいる社会の過去を知り、その時を生きた人間の言葉に耳を傾け、未来に向けて思考を絶やさないこと。そうした「未来責任」について、これまで自分が学んできたことを大学生らの講義に生かせればと思う。
実際に、DVDを見せて大学生らに講義をする際には、どういう意味なのか考えていくことが重要ではないかと発問するようにしており、彼ら・彼女なりに考えたことをペーパーに書いてもらい、意見を交換・共有する機会を設けている。
過去から学び、今生きている社会について学生らが多角的・批判的な目を養うには、やはり自己との対話・他者との対話が不可欠で、大学教育ではそれを組織しなければならないと思ってはいるが、現実問題、十分にそれができているか、あるいはそれができる環境にあるかと言われれば「No」である。
現在の大学教育に求められている課題しかり、大学の講義を通して自分に何ができるのかということしかり、考えていかなければならない課題は山積である。