Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

大学のゼミで学んだことの意味 Part 1

すっかり夏らしさは影を潜め、秋の風を感じるようになった今日この頃。
この夏休みは、比較的家族と過ごす時間が多く取れ、温泉に行き、海に行き、だいぶリフレッシュできたように思う。
自分の研究の方も、研究科紀要への投稿論文の執筆と、依頼原稿の執筆(ほんの少し書いただけだけれど、早速、本になった)、分析枠組に関する文献・論文の収集・渉猟と、まあ、子育てしながら自分のペースで着実に進めた、といったかんじだろうか。
そして現在、大学時代の恩師の依頼で執筆を予定している原稿がある。
問題の内容はというと、「大学のゼミで学んだことの意味」ということで、大学時代のゼミ活動が、卒業後の進路においてどのような力となっているか、またはゼミでの学びによってどのような力をつけたか、ということだそう。
先日いただいた恩師A先生のメールには、以下のように書かれていた(勝手な引用で申し訳ないが…)

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「大学・ゼミ」を卒業後に改めて自分の学びを見直してみるという内容です。
そこでの自己形成がどうだったか、学びはどうだったか、単なる思い出では、「楽しかった」で終わってしまいます。
それも大切なのですが、大学入学の動機・選択の理由(おそらくは○大ではなく他に行きたい大学があった、それはなぜだったのか、そこに何を求めていたのか)、→大学に入学して学びが始まる、ゼミが始まる。
Aゼミを選択したのはどういう動機だったか、さらにここで何を学べたか、卒論のテーマは何だったのか、なぜそのテーマを選択したのか。
→現在、どういう課題に直面しているか、大学時代の学びと現在の研究課題はどのように繋がるのか、という流れを考えて、N子さんの自主的発想で考えてみて下さい。

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まず、大学入学の動機から。
思い返せば、高校1年の時に初めて人生の挫折を味わったことが、現在の進路選択に通じているのだと思う。
今思えば「井の中の蛙」だったのだけれど、とにかく何事もオールマイティにバランスよくできた中学時代だったように思う。
友達関係で悩んだりすることもほとんどなく、先生からもどちらかと言えば気に入られるタイプの子だった。
勉強やスポーツに関しては、何もせずにひょうひょうとこなせていたのではなく、眠る時間を惜しむほどの努力の賜物だった。中学時代の恩師に言われた「あなたは努力の人」という言葉・評価は、今でも忘れられないほど、当時の自分にとっては嬉しいものだった。そして自信になった。
今でもたまに思うが、なぜ、あるいは何のために、あれほど頑張れたのかはよくわからない。
そうした、ある意味「影の努力」を、学校の先生たちは理解し認めてくれていたし、親も誇らしげだったのではないかと思う。
こうした中学時代の良好な先生たちの出会いが、「学校の先生になりたい」という夢をもたせたのは、ほとんど必然だったのだと思う。
そして今思えば、当時いろんな選択肢に恵まれていたがゆえに、自ら望んだ高校に進学(一番の志望動機は学校の雰囲気だった)。
高校に入って間もなく、ハイレベルの勉強(実際には大学受験のための勉強)と、周囲の人間の高い志と、そこに順応しなくては落ちこぼれていく感覚、それは同時に社会そのものから落ちこぼれていく感覚、そうしたあらゆるものに「違和感」を感じるようになった。「何かが違う」という感じ…
そうしたことがきっかけとなって、教育の制度や政策に興味を持ち出し、「教育行政学」という学問があることを知る。
都内及び関東圏内で教育行政学を学べそうな大学は限られており、東大をはじめ、当時の自分にとっては高望みとなる大学ばかりだった。
結局、一浪したものの、頑張ったのだか頑張れなかったのだかわからないけれど、希望の大学には入ることができず、高校の先生には二浪を勧められたが、当時そんな気力もなく、現在の母校への進学を決断した。
最初からそう割り切れば浪人せずに済んだのかもしれないけれど、「どこへ行ってもやりたいことはできる。自分次第だ。」と思うことで自分を言い聞かせた記憶がある。
ゼミ活動が始まる前の最初の2年間はとにかくやりたいこと、学びたいことを広くやった。
もともと興味のあった世界史を深めたり、週4コマのフランス語に力を入れたり、イギリスとオーストラリアへ1ヶ月ずつホームステイしたり、バイトに精を出したり…(これらは今のキャリアに生きてくるのだがここでは詳述しない)
そしてやっとゼミ選択。
Aゼミを志望した理由は2つだった。
ひとつは、A先生の授業「教育史概説」がおもしろかったから。
大学に入って一番初めに触れた学問のおもしろさだったのかもしれない。
教育学の奥深さをそこで初めて知り、もっとこの先生のもとで深めてみたいと思った。
もうひとつは、他者と議論する場が必要だったから。
難解な文献を一人で読みこなすのも一つの学びの醍醐味かもしれないが、より多角的で開かれた目を養いたかったのだと思う。
Aゼミは討論をベースに現代の様々な教育課題について歴史的に考えることを謳っており、それが自分にとっては魅力的に思えた。
今でもよく覚えているのだけれど、Aゼミでは新3年生を迎えて「オープニング討論」なるものがある。
テーマは予め与えられていて、そのテーマに関する参加者全員の意見も予め読んでくることで討論が開始される。
当時、自分が新3年生だった時のテーマは、確か、「死に対する自己決定権は認められるか」というものだった(懐かしい…)。
4年生に臆することなく、いっちょ前に自分の意見を主張したり、他人の意見に対して異議を呈していた記憶が鮮明にある。
中学・高校時代とは一変して、一浪したせいか、大学時代は、同じ教育学科の学生達の群れに対して、どこか冷めた目で見ており、結構、自分は自分、という気持ちで過ごしていた。
失礼ながら、周りがどうも子どもっぽく見えていたのだと思う。
ゼミの仲間に限らず、そんな自分に対して気さくに接してくれた数少ない友人は、やっぱり希少な存在だったと思う。
そういう意味で、ゼミの仲間は、どんなパーソナリティかは二の次の、まさに共に学び合うために集まった者で構成される「知的な共同体」だった。
あまり他のゼミと比べたことはないが、教育学科のほとんどのゼミは、卒業後、先生になることを前提とした、いわば体験的・実践的でhow to的なゼミだと聞いたことがある。
もちろん、そうではないゼミも知っているが、そういったゼミはかなり人気がなく、先生と学生数人のこじんまりとしたゼミだったように思う。
今では恩師と杯を交わす際の鉄板ネタとなっているのだけれど、ゼミ選択に際して、当時ゼミの定員を超える希望者がいて、先生との面接の場が設けられ、「あなたの関心なら、他のゼミに行ってほしい」と言われた。
当時、ゼミ希望の用紙には、関心のあるテーマとして、「ナショナリズム」とか「憲法9条」「子どもの権利」とか書いていたと思う。
面接では、「それだったら憲法・教育法を専門とする先生のゼミのところで勉強すれば?」的なことを言われた。
それだけでなく、「あなたは教育学科の行事(夏合宿、コンサート等)に全然積極的に参加していない」的なことまで言われ、「それとこれとどう関係あるの?」と思った記憶がある。
その面接では、「このゼミで力をつけたい」ということを話し、なんとか先生の理解を得て、結果、無事に希望した通りのゼミに入れたのだと思う。
そんなこともあって、ゼミの活動やそこでの学びには人一倍熱心に取り組んだと思っている。
いろいろ思い返していく内に長くなってきたので、ゼミで実際に学んだことと、それがその後のキャリアにどうつながっているか、等については、稿を改めようと思う。