Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

大学のゼミで学んだことの意味 Part 2

早く続きを…と思っていたら、前回の更新から4か月も過ぎ、年が明けてしまった。
またもや毎日非常勤の仕事や研究、子育てに追われる日々で、あっという間に時間が経ってしまった。
今年度の非常勤の仕事についても、今週で一応一区切りしたので、また来年度のシラバスを作成するために、日を改めて振り返り、省察したいと思う。
さて、、前回のブログでは、大学時代の恩師の依頼メールを受けて「大学進学の動機・選択理由」と「大学でAゼミを選択した理由」までを書いた。
というわけで、今回と次回は「ゼミで学んだこと」と「卒論のテーマとそのテーマの選択理由」を書くこととする。
Aゼミに無事に入れて(入るまでのすったもんだは前回の内容にて…)、まず最初に自分を刺激したことは、やっぱり「他者と討論する」ということの魅力だった。
きっとそれまで培われてきた学習のスタイル(受験対応型の学習スタイル=とにかく与えられた知識をなるべく多く詰め込み頭の中で組織立てるような学習スタイル)とは180度といってよいほど違う力が求められ、それが自分にとっては非常に新鮮だったのだと思う。
他者と討論するためには、「自分の意見を言う」、「他者の意見に耳を傾ける」ということが当然求められるのだけれど、さらに必要なのは、自分の意見の根拠となる、あるいは他者を批判するための根拠となる知識・情報と、それらを組み立てて論を展開するための論理的思考だった。
また、Aゼミでは、月曜2限(あの時間。あの場所。懐かしい…)の正規の時間以外にも、読書会や先生を招いての講演会的なイベントなど、他者と討論する場が多様に設けられていた。
さらには、A先生の研究会にオブザーバーとして参加させてもらったり、そうした研究会後の懇親会では他大学の先生方や大学院生らとの交流の場なども設けられていたり、学部生としてはもったいないほどの学問的な交流の場が与えられていた。
そうした機会を必要とする・しないは個人の自由で、強制的に参加を求められることはなかった。
それ以外にも、お酒の好きなA先生は、よく私たち学生を飲みに誘ってくださり、多い時には週3回(!)、時には朝まで、互いに多くのことを語り合い、意見をぶつけ合い、心を開いていった。
そうした人間関係・信頼関係の構築を背景に、ゼミでの「知的な共同体」は形成されていったのだと思う。
具体的に、Aゼミ1年目の学部3年生の時の活動内容はというと、、
まず前期は、前回のブログに書いたオープニング討論の後、いくつかのグループに分かれて『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記(岩波文庫)』の読み込み及び発表、さらにそれらを基にした全体での討論。
後期は、再びいくつかのグループに分かれて各々が設定したテーマについての発表と、それを基にした全体での討論。
ちなみに、自分が3年生だった時にグループ発表したテーマは、グローバル時代における「地球市民教育」なるものの是非を問いなおす、というものだった。
当時作成したレジュメを見直してみると、そこでは「地球市民」というある種耳触りのいい言葉が近年盛んに用いられる一方で、「日本人としてのアイデンティティの確立」が政策的に謳われ、外国籍の児童・生徒の存在は視野に入れられていない、という排他性が指摘されていた。
そうした現状に対し、「地球市民教育」の方法論として、「地域をくぐらせること」の重要性と、東アジア諸国間の歴史認識をめぐる問題と向き合うことの重要性が提起されていた。
レジュメを見返していていろいろ思い出した。当時、ゼミでこんなことを考えていたのかと…
そしてAゼミでは3年生でゼミ論を書く。
当時書いたゼミ論のタイトルは、『現代の日本におけるナショナリズムに関する一考察―個人と国家の関係の在り方と教育の可能性』。以下はその目次。

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はじめに
第一章 ナショナリズムとは何か
 第一節 「国民国家」の起源
 第二節 日本のナショナリズムの成立事情
 第三節 ナショナリズムパトリオティズムの関係性
 (1)パトリオティズムとは何か
 (2)ベトナム戦争から見えてきたもの
 (3)現代の日本におけるナショナリズムパトリオティズムの関係のもつ危うさ
第二章 個人と国家の関係性
 第一節 「きけ わだつみのこえ」より戦没学徒の声をきく
 第二節 丸山真男の検証による在るべき個人と国家の関係
 第三節 現在のイラク戦争から見えてきたもの
第三章 これからのナショナリズムと教育の可能性
 第一節 下からの意見で社会が動くとき −個と集団の関係−
 第二節 メディア・リテラシーの必要性とそれを教育に取り入れることの意義
 第三節 人権意識を育む和光鶴川小学校の実践とその可能性
まとめ
終わりに
引用文献

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今見ても、30ページほどの何とも稚拙なものだけれど、当時の自分がどういうことに問題関心を持ち、ゼミの活動の中で何をしてきたのかがこの目次だけでも大体把握できる。
このゼミ論の目的は、次のようなもの(以下、引用)。
「本論文の目的は、現在教育界で様々な議論がなされている「愛国心」というものはどういったものであるかを探る観点から、そもそもの「国家」という概念はどのような起源をもち、その当時の日本にどのような影響を及ぼしたかを歴史的に明らかにすること、また、現代の日本におけるナショナリズムとはどういったものであるかを批判的に検討することを通して、個人と国家の関係はどうあるべきかを考察することにある。そして、現在の日本におけるナショナリズムと教育との関係のもつ危うさから、これから在るべきナショナリズムを模索し、日本の社会を変えていくためにはどのようなことが必要であるのか、また、今日の教育が引き取るべき課題とはどのようなことであるかを教育の可能性と共に提示することを目的とする。」
学部の3年生にしてはなかなかマニアックな論文である(笑)。
今読み返すと、目的が絞れておらず、「そんなにできるか〜い!」という突込みしかない。
テーマは、高校の卒業式で「君が代」斉唱の際、あえて不起立で歌わなかったという自身の学校体験や、「日の丸・君が代」を東京都の学校現場に強制するという当時の政治的な状況があって設定されたものである。
第2章から第3章にかけては、ゼミのサブ的な活動であった読書会や学校見学などで得た素材がふんだんに盛り込まれている。
そして、自分が3年生だった頃のゼミ活動の中で一番といって良いほど心に残り、今もそこで学んだことがある意味生きていく上で考えていくべき課題としてずっとあるのは、自分たちで主催した、“江藤文夫先生講演会「同時代の本質を見抜く知性を大学でいかに培うか〜加藤周一著書から学ぶもの〜」”である。
この講演会にはゼミのOB・OGや、他大学Kゼミの先生・学生なども参加し、普段のゼミよりはオープンなイベントとして行われた。
そんなゼミ活動としての講演会に日本の評論家・成蹊大学名誉教授の江藤文夫氏を呼べたのは、本当に貴重な経験だったと思う。
この講演会におけるテーマや司会者、発表者、コメンテータなどは全て自分たちで考え、選んだ。
これも当時のレジュメを見直すと、当時4年生だったN.W君の発表は、「大学教育の過去・現在・未来」ということを軸に以下の3本の柱からなっている。
1.加藤周一氏から何を学んだのか(1. 戦争責任から「未来責任」へ、2. 過去・現在・未来の連続性、3. 「なしくずし」的に進む同時代の大きな流れを「見抜く」ということ)
2.今の時代をどう捉えるか(1. 自衛隊の海外派兵・平和憲法の破棄、2. 「戦争のできる国づくり」の教育への影響、3. 排他的なナショナリズムの強調と「アジアの中の日本」の役割について)
3.教育・大学教育の課題(1. 大学生の「思想」と「生活意識」(現実)との乖離の問題、2. 「知性」あるジャーナリズムとは、3. 「未来責任」意識のない学生が「一般」教養を身につけて社会に出ていることへの危険性、4. 過去と現在の大学における学問と実生活との乖離の問題)
自分は当時、各々の問題提起に対して、加藤周一氏の著書から学んだことなどを基に、コメンテータとして発表者の問題提起に対してコメントしている。
例えば、「戦時中の知識人と現在の知識人とではどういった違いがあり、加藤氏がそこまでこだわってきた知識人の責務はどこにあるのか」、「国家と個人の関係について、イラクにおける日本人人質事件からも明らかになった「自己責任論」をどうみるか、またそうした状況から何が見えてくるのか」、「文化・思想の「押し付け」について―外あるいは上から押しつけられる思想などあるのか」、「同時代を見抜くということと、大学生の「思想」と「生活意識」(現実)との乖離について―「見抜く」というのは、批判的な思考はしていても現実的なアクションはなされない、ということになるが、それでも「見抜けている」といえるのだろうか」、「「未来責任」意識のない学生が「一般」教養を身につけて社会進出しているという問題について―現実問題、結果を求められる社会においては、即効性のある知識や技術が身についていればいいのでは、という意見にはどう応えるか」、etc...
上記の発表者の問題提起や自身のコメントを見返す限り、非常に多岐に渡るテーマについて当時議論されていたことが窺える。
この討論をじっくり聞いてくださった江藤文夫氏が、最後にこれから実社会に出ていこうとする学生らまたは実際に教壇に立っている先輩らに向けて言い放った一言というのが、「流されつつ組み替える」という言葉だった。
それは、いかに大学という実社会からある種隔離された場で、過去から未来へ批判的に学ぼうとも、個人として社会の大きな流れに抗うことは、とてもエネルギーのいることで時には大きな苦しみや困難を伴うものである。しかしながら、現状の波に身を委ねながらも、少しずつ少しずつ一定の方向に向かって流れているものを別の方向へと向かわせていくということが、地道ではあるがとても大事、ということだろう。
そのことを当時大学3年生だった私は学んだ。
江藤文夫氏がこの世を去ったのは、それから半年後のことだった。
そういう意味でも生前の江藤氏が当時大学生だった私たちに話してくださったことは貴重だったし、江藤氏からいただいた言葉の意味をこれからも実生活の中で考えていきたいと思う。