Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

オ−ストリアの車窓から

今回は初めての携帯からの書き込み。メールを送る要領で簡単に書き込める。
芸能人とかのブログが流行ったことなどから、おそらく携帯からの書き込みの方が今は一般的なのかもしれないなと思う。

今、オ−ストリアは26日の21時過ぎ。
モ−ツァルト生誕の地、ザルツブルクからウィ−ンへ向かう電車の中にいる。

今日は、昨日この渡航の最大の目的であったウィ−ン大学での学会発表が終わり、母と一緒にザルツブルクへの観光に出かけた。
ザルツブルクの街はウィ−ンに次ぐオ−ストリアの観光スポットで、今日は秋のフェスティバルと重なったこともあり、多くの人々で賑わいを見せていた。

何はともあれ、やっと学会発表から解放された。
厳密には、発表原稿との格闘の日々から解放されただけだ。

というのも、研究内容にしても学会発表自体にしても、決して満足のいくものではなかったからだ。
発表時間は一人15分。セッションの司会を担当してくれた先生によれば、それが国際学会のスタンダードだという。
日本の学会発表と比べると短い気がしていたけれど、セッションが始まる前にその司会の先生に挨拶をしにいった際、「これもトレーニングだから頑張って」と言われた。
自分の発表が組み込まれていたセッションを聞きに来る聴衆はほとんどおらず、足りるか心配だったレジュメはだいぶ余った。

いざ本番を前にしても、意外に落ち着いていられた。
時間内に発表を収めるために、作成した発表原稿は練習段階でも相当カットすることにしていたけれど、それでも発表最中には、時間をオ−バ−しそうになったのでだいぶ読み飛ばした。
どんな発表でも時間を守るのが聞いてくれる人に対してだけではなく発表者自身に対しても、相互の時間を尊重するという意味において最低限のル−ルだと思う。
おかげで発表内容が聴衆に伝わっているか相当不安だったけれど、そこは司会の先生にだいぶ助けられた。
彼はわざわざ黒板を使って自分がどう解釈したかを確認してくれた。
その上で、発表内容に則して研究のコアになる部分はここだと指摘してくれた。
ご指摘は本当にその通りで、修論の段階から論じきれていない部分だった。
つまり、国家が教育内容に介入するということと、「教育の自由」という原理との緊張関係。
その応答としては、日本の現状を簡単に紹介し、重要な研究課題だと応えた。
セッションが終わってからも、聞いてくれていた女性研究者から、フランスの教育を研究するのであれば、やはりブルデュ−は押さえておいた方がいいというご指摘をいただくことができた。
確かにブルデュ−が1989年にコレ−ジュ・ド・フランスの名で出した報告書は、しっかり再検討すべきものだと思う。

とにかく、自分の未熟さを痛感した学会発表になってしまった。
セッションが終わってから司会の先生にお礼に行き、「もっと勉強します」と反省混じりに言うと、「あなたの研究は気に入った、これからを楽しみにしている」と優しい口調で言ってもらえた。
本当にジェントルマンな先生だった。
早口でまくし立てる手厳しい女性研究者に当たらなくて本当によかったと思った。

せっかくだからと思い、一つ前のセッションに参加してみたら、そんな感じの司会者だったからだ。
しかもみんなプレゼンが上手で、学生からも積極的に質問が出ていたことは、さすがにすごいと思った。

言葉の壁はあるにせよ、もっと頑張らなくちゃいけないなと思えたし、またいつかリベンジしたいと思えた。

こういった国際学会での発表という機会は、業績になるとかそういうことよりも、学生の内に経験できたということが本当に大きな意味をもつと感じた。
そう感じた理由はここには書ききれないけれど。

そういった意味で、発表を勧めてくれ、多くをサポートしてくれた指導教官に感謝感謝である。