Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

言葉にする

先月、4年ぶりに東京も大雪に見舞われた、1月22日の「悲しい日」からもう1ヶ月も経っていたんだな…と思った。
先生の訃報を、1月22日のお昼にYahooニュースで知って、一気にお昼を食べる気が失せて、窓の外を舞う雪を茫然と見るしかなかったのを思い出す。
もう二度と会うことのできない寂しさと、なんだか寒空の下、一人取り残されてしまったような途方に暮れた気持ちと、ここで立ち止まるわけにはいかずとにかく研究を進めなければいけないという気持ちと、、
とにかく心の整理がつかない日々を過ごしてきたが、御連れ合い様もお別れの会でおっしゃっていたように、きっとご本人は、いつものあの感じで「ごめん!」と言うのだろうな、と思う。
事件の詳細を見聞きすると、やっぱり「なんで…」という気持ちが湧いてくる。
あまりに突然のことで、ご家族をはじめ、きっと多くの人が受け止めきれない気持ちを抱いただろう。
私は去年の夏、お盆休みの直前に、先生と、先生が集めて下さったゼミ生とで、博論構想についてご指導いただく会を開いていただいた。
先生はその後、大学での講義のためイタリアに旅立ち、私は先生が戻るまでに、その会で頂いた山のような宿題を少しずつ消化し、それが生きる形で博論を執筆したいと今日までやってきた。
もう指導していただくことはできないのだけれど、今まで私の研究に対してして頂いたご指摘や議論を心に留めながら、研究を前に進めていくしかない。
たまに大学のエレベーターなどでお会いした時なんかには、これまたいつものあの感じで「研究どう?」と言ってくれたのだけれど、いつ「研究どう?」と聞かれても「大丈夫です、頑張っています!」と言えるように。
そういうわけで、学振の制度上、急遽、新たな受入研究者を探さなくてはいけなくなった。
先生がいらした建物の中で、きっと先生のゼミ生たちも路頭に迷い、新たな指導教員を見つけなければならなかったはずで、私もその一人として、研究テーマに沿って新たな受入研究者を事務の方から紹介していただいた。
政治学の先生で、マキャヴェリや共和主義思想について研究されている方だった。
確かに同じ研究機関の方が、やっと慣れてきた研究環境を変えずに済むし、研究費の都合上、何かと事務的にスムーズなのだろう。
だけど自分の場合、研究のテーマというより、方法論として憲法学の議論を援用してみたくて、その上で教育学にも憲法学にも通じていた受入研究者は自分にとってはただ一人だったし、今更まったく面識のない先生に受入研究者をお願いするのは、博論を指導して頂く上で、正直、不安があった。
前の指導教員に相談に乗ってもらい、一つの提案をいただいた。
どこかで「紹介してもらえたなら、そうすれば?」と言われたらどうしよう…と思っていたけれど、先生の提案は、はっきりと自分の迷いや不安を打ち消すものだった。
古巣に帰る。ただし、前の研究室ではないけれど。
新たな受入研究者には、大学院生時代から自分の研究指導をしてくださっている先生にお願いし、快諾して頂いた。
研究環境は変わるけれど、全く未開の地ではない安心感はある。
3月1日付で異動する。
ちょっと心機一転。
かなり気落ちしていたけれど、こうやって言葉にできるほどに時間が癒してくれたのだと思う。
言葉にすると、心にたまっていた悲しみがより鮮明になる反面、前を向こうと強くなれる気がする。