Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

3連休初日から夜更かし

子ども達を寝かしつけてテレビをつけたら「衝撃スクープSP 30年目の真実〜東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声〜」という番組がやっていた。
金子ノブアキ主演という事で番宣をやっていたので、「ああ、これか。」と目に留まった。
この事件については、当時自分も幼かったということもあり、「宮崎勤」という名前と、「連続幼女誘拐殺人」ということしか知らないでいた。あえて調べようとも思わなかった。
発生から30年目を迎えたこの事件は、「1988〜89年に4人の幼女を次々と殺害し、暗号文を交えた不気味な「犯行声明文」を出したり、被害女児の自宅に遺骨を届けたりと、異常な犯行で社会に大きな衝撃を与えた宮崎元死刑囚だが、動機や背景などは何も語らずじまい。2008年6月には死刑が執行され、真相は闇に包まれていた」(産経デジタルHPより)。
そうした事件に対し、「フジテレビ報道局は、関係各所への徹底取材を行い、これまで誰も触れることはなかった猟奇殺人犯・宮崎元死刑囚の肉声データという空前のスクープを入手。さらに肉声をもとに取材を重ね、当時の報道やワイドショーの映像も使用しながら、凶悪事件を追う刑事の戦いをドキュメンタリードラマ化」したという(同HPより)。
金子ノブアキ演じる刑事がどのように宮崎勤死刑囚に対し自供を引き出したのか、という実際の肉声を交えた取り調べシーンや、当時のメディアがこの事件をどのように報道していたのか、という映像は、子を持つ親としては、見る・聞くに堪えない部分もあったけれど、衝撃だった。
そして宮崎死刑囚に対峙してきた主人公の刑事の言葉で最後に語られたことが非常に印象に残った。
要するに、世間は宮崎勤という男のことを「異常な狂人」のように捉えているかもしれないけれど、取り調べをずっと担当してきた刑事の目には「どこにでもいそうな普通の人間」としか映らなかったということだ。
東京都在住だった宮崎死刑囚が埼玉に4人の女児の死体を遺棄したのは、捜査の目を自分のいる東京から逸らして埼玉にいる殺人犯に仕立てるという意図があったこと、当初「3人しか殺していない」と言って4人目の殺人容疑を否認し続けていたことなど、事件の発覚を恐れてびくびく怯え、罪を逃れるために嘘をつく。
逮捕されてからも、精神異常を装ったり(最後に実際に精神鑑定をした人達が登場し証言していた)、取り調べ中に刑事に暴力を振るわれたなどと証言し真実を語らない、少しでも自分の罪を軽くしようとする言動。
そういったある種、幼稚で身勝手、自己保身の「人間の悪」の部分を、刑事は「どこにでもいそうな普通の人間」と表現した。
最後のシーンを見た時、アレントの『イエルサレムアイヒマン』と一緒だ!と思った。
アイヒマンの場合も、多くのユダヤ人を犠牲にした、人類史上例を見ないナチス犯罪に加担した人間が、血も涙もない「怪物」ではなく、凡庸などこにでもいる小心者の取るに足らない役人だった。
人間にとって、それはむしろ恐ろしいことで、誰もがアイヒマンと同じ状況になれば同じように命令に従い、同じことをする可能性があるということを意味する。
じゃあ、宮崎死刑囚の場合はどうだろうか。
彼の場合は単独犯で、組織的な犯罪ではないというのが大きな違いではあるけれど、どこか社会の歪みみたいなものがこうした犯罪を生み出している側面もあるような気がする。
あと彼の場合、詳細は知り得ないけれど、やはり家族関係にも相当な問題があったと推測できる(特に父親との関係)。
教育学をやっている人間として、やっぱり一人の人間が育っていく過程で、何が欠如し、どういう働きかけがあったならばこういった結末を迎えずに済んだのか、ということは、どうしても気になるところ。
あと、死刑が執行されて10年も経つのに、何故今になってこういった形で事件の真実の一部が公開されたのだろうか。
幼い大切な命を奪われた親にとって、犯人の死刑は「もうこれで終わり」となるものなのだろうか。
よく死刑賛成論者は「じゃあ、自分の子どもや大切な人が殺されたら犯人を許せるの?死んで欲しくないの?」と言うけれど、そのことと、どういう形であれ、国家権力が一人の人格をこの世から消す、ということとは、やっぱり距離があるように思う。
「死刑」というものによって社会が一方的にその事件を終わらせ、忘れ去り、時が経って第二、第三の宮崎を生ましめない世の中であってほしい、と思う。
今回のドキュメンタリードラマから、改めて、こうした「人間の悪の凡庸さ」というものと、「死刑」というものについて考えさせられた。
最近、ブログの更新を怠っていたけれど、育児と研究に追われる日々だったけれど、綴りたいことがある、っていうのはちゃんと考えている証拠なんだな、と思った(見て見て系のは別として)。
ちゃんと「思考する」。アレントが大事って言ってた。
どんなに忙しくても、時にはちゃんと立ち止まりましょう(省察)!