Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

「樹々のざわめき」再訪

今月に入り、突然、昨年の夏に亡くなられた先生からメールが届き、我が目を疑った。
差出人は先生のお連れ合い様からだった。
どうやら先生が亡くなられた際にこのブログに綴った文章を読んでいただいたようで、先生が生前になさっていた研究会のメンバーの方々が先生の「偲ぶ会」をもつことになったから是非どうぞ、というものだった。
ということで、突然の訃報だっただけに最後のごあいさつも十分にできずにいたため、今日、その「偲ぶ会」に参加させていただいた。
会場には先生の生前の写真をいくつも映し出すスクリーンが用意されていた。
カエラのレンズに映し出された先生の優しい微笑みや、パリの街を眺めている姿、お連れ合い様やご家族と映られた楽しそうな写真など、私の知っている先生以外の顔がそこにはあって、お連れ合い様から先生の最後の様子を聞いていると自然と涙がこぼれてきた。
スクリーンに映し出された写真を見ながら、先生と親交の深かった方々のスピーチを聞いた。
スピーチでは皆口々に生前の先生は本当に温かく、家族思いで、研究の好きな人だったと言っていた。
私が最初に先生とお会いしたのは、2008年の6月。今から3年以上も前のこと。
修士論文執筆のために初めてパリを訪れたときのことだった。
「善は急げ」、「百聞は一見にしかず」と言わんばかりに、右も左も分からずとりあえずパリに乗り込んできたような私に、電車やバスの乗り方や国立図書館(BNF)の使い方まで、短期間で一からいろいろ教えてくださった。
いくら私の恩師と先生の親交が深く、その恩師からの頼みだったとはいえ、今後研究生活を続けられるかどうかも怪しい、専門領域も違う修論生の研究の相談や研究をめぐる議論に、2,3日かけてつきあってくれる先生はなかなかいないと思った。
そこで教わり得られた着想により、なんとか修論を書き上げ、現在の博士課程での研究があることは感謝してもしきれない。
そして目の前の不透明さや不安感から小手先のテクニックでどうにか研究を形にしようとしてしまっている自分の現状にとって、「考えるのが好きだから研究をする」、「常に“対話”を通して考えを深めていく」という先生のスタイルから、今日改めて教わることが多かった。
また素敵な先生の周りには、素敵なご家族と素敵な研究仲間がいた。
故人とその周囲の人々から生きている私たちが教わることが多いということは、なんとも素敵なことだな、と思った。