Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

関心と無関心

「好き」の反対は「嫌い」じゃなくて「無関心」というテ−ゼがあるけれど,それと関連して,自分のことにしか関心をもてなくなった人間が最近怖い。
もちろん人間誰しも余裕がなくなって自分のことでいっぱいいっぱいになることはあるだろう。
そのレベルで済むならいい。
だけど完全に自分は自分,他人は他人になってしまうことに加え,「自分とは違う」という理由で他人に関心を示さなくなることは怖いなと思う。
言葉を発することがその人のアイデンティティや性格なども含め,「現れる」ことであるとするならば,「あなたに関心がない」というのは,「排除」とまではいかなくとも,「だまれ=言葉を発するな=現れるな」ということを強いられることに等しいのかもしれない。
周りにいる人間みんながみんな自分に関心があるとは限らない時,関心をもってくれる人とだけコミュニケートし,そうじゃない人に対しては口を閉ざすべきなのだろうか。
そんなことを思いながら人と接したら,怖くて誰とも関われなくなる気がする。
「人に迷惑をかけないこと」,「空気を読んで周りに合わせること」,「極端な主張をしたり思ってることを言いたい時は言葉を選ぶこと」,「会話の内容をその場の雰囲気に合わせて選ぶこと」,etc...,そんなことが是とされ要求されてるような昨今の風潮。
それが是とされるのもわかるはわかる。
嫌われたくないとか,関心をもたれたいと思うのは人の自然な感情だろうし,ましてや誰しも孤立したくなんてないだろう。
だけどなんだろう…。
人の顔色をうかがい,極端な主張や毒舌は避けて周りに同調し,気に入られようとか嫌われないようにとかは疲れる。
だけどそれが嫌なら孤立する勇気が必要なのか,それとも関心をもってくれた人とだけ交流を深めそれでいいと開き直るのか,それとも…。
ストレートに「自分」を出して他人とぶつかることを厭わなかった10代の頃とはもう違って,だんだんぶつかることを避けるようになった気がするここ数年。。
それは逆にすごく労力のいることで,そうやって「大人」になっていくのかもしれないけど,自分の中に矛盾した感情があることに気づく。