Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

ノーベル「平和」賞

最近の出来事でどう考えたらいいのかわからないことを,肩の力を抜いて思うままに書いてみようと思う。
それは,先日のアメリカのオバマ大統領のノーベル平和賞受賞のスピーチである。
受賞が決まった時にも「なんで?」という考えから抜け出せなかったけど,今回の受賞式のスピーチはどう捉えたらいいのか,一層わからない。
「核のない世界を」と確たる信念をもってアメリカの大統領が唱えたということが受賞の理由なのだろうか。
このように言葉あるいは理念だけで実績が伴っていないという批判は,オバマ大統領に相当向けられていたらしく,自身もスピーチの中でそのことについては謙虚な姿勢で言及していた。
過去の受賞者の功績を称えながら自分はまだそのレベルに達しているわけではないということ。
さらに世界には平和に向け,地道に活動を続ける多くの人々がいるということ,などといったように。
こうした世界中に巻き起こしたオバマ大統領のノーベル平和賞受賞の議論に正面から向き合い,自らの意見を述べる姿勢自体には非常に好感をもって受け止めることができる。
しかし,問題はスピーチで語ったオバマ大統領の考え方,スピーチの内容そのものである。
オバマ大統領は,ガンジーマーティン・ルーサー・キング牧師の「非暴力平和」を引き合いに出し,「私は,ガンジーキング牧師の信条と人生には,何ら弱いものはなく,何ら消極的なものはなく,何ら甘い考えのものはないことを知っている」と,その平和への貢献を認めている。
その上で,「しかし,私は,自国を守るために就任した国家元首として,彼らの先例だけに従うわけにはいかない。私はあるがままの世界に立ち向かっている。米国民への脅威に対して,手をこまねいてることはできない。間違ってはいけない」と述べ,世界には「悪」というものは存在すると明言した。
オバマ大統領は,自身がイラクアフガニスタンにおけるふたつの戦争のただ中にある国の軍最高司令官であるということに自覚的である。つまりそれは,自らが「権力」の座にいるということに対する自覚でもある。
だからこそ,歴史の教訓を引き受けながら現実を直視し,こうあるべきという将来に向けた「世界平和」のビジョンをもつ必要があると述べる。
スピーチ後半の将来に向けた「世界平和」のビジョンに関しては,相当程度普遍的な内容として受け止めることができ,多くの人々から共感を得られるだろう内容である。
しかし,そうしたビジョンを現実のものへと向かわせるために,「戦争」という暴力あるいは武力行使を介在させるという弁証法的思考に対しては,その正当性が議論によって争われてしかるべきだと思う。
何が本当に「現実的」なのか。歴史から何を学び得るのか。
「我々が倫理的な想像力を広げること」と「我々みんなが共有し,奪い得ないものがある,ということへのこだわり」というものを強調するオバマ大統領の希望に満ちた「可能性への賭け」には,アメリカという軍事大国の大統領としての国際的なリーダーシップという点で,期待し得るものがあるだろう。
ただ,いまひとつ納得しきれないのは,これまでのアメリカが他国・他民族に対して成して来たことにどれだけ向き合いきれているのか,そして,虐げられてきた歴史を持つ他者の声に耳を傾けることがどれ程できているのかということである。