Agenda de tous les jours

残すためではなく気づくため。自身の省察のためのブログです。

68年とは何だったのか

今日は,小玉重夫氏のゼミ「教育思想理論研究」に出席。
小玉氏とは専門分野は違えど,教育の公共性やシティズンシップ(市民性)といった問題関心を共有しているため,修士課程1年の頃から,もっと言えば大学院進学前から,ずっとお世話になっている。
今年の小玉ゼミでは,「教育における政治と権力の問題」がテーマとなっているが,冬学期は主に,「権力と暴力の問題」がテーマとなる。
冬学期初回の今日は,今後のゼミの予定提示・自己紹介・担当決めといった,いわゆるガイダンス。
来週と再来週は,ゼミのイントロとして小玉氏の方から報告2本が予定されている。
本格的な文献の輪読は,その次の週からである。
ゼミで扱う文献は,以下の通り。

○市野川容孝「暴力批判試論―R.ルクセンブルクとW.ベンヤミン」『現代思想』2005年11月号,vol.33-12,青土社
○W.Benjamin,"Critique of Violence", Walter Benjamin ; translated by Edmund Jephcott ; edited and with an introduction by Peter Demetz, Reflections: essays, apborisms, autobiograpbical writings, New York : Schocken Books, 1986.(=ヴァルター・ベンヤミン〔野村修編訳〕『暴力批判論』岩波書店,1995年)
ハンナ・アーレント〔山田正行訳〕『暴力について―共和国の危機』みすず書房,2000年

さらに冬学期の小玉ゼミでは,毎年,年明けにゼミ合宿を行なう。
担当決めの際,そのゼミ合宿で「1968年問題」について自由報告をすることになってしまった。
自分の研究テーマ,フランスだったらフランスに引きつけて,自由に報告していいらしい。
「1968年問題」とは,日本では労働運動と大学紛争が盛んだった時期のことであり,アメリカではベトナム反戦運動,フランスでは「五月革命」あるいは「五月危機」といわれる学生紛争である。
修士論文では,そこらへんの歴史はさらっと触れるに留まり,あえて避けてきたテーマだった。
“68年とは何だったのか”
今でも評価の大きく分かれる論争的かつセンシティブなテーマである。
最近,68年に関する著書が次々と出版されている。
これも何かの縁なのだろう。
今回の報告を機に少し勉強してみようと思う。